サスペンス・ブラックコメディというジャンルの映画。
そしてR+15指定。
ギリギリの路線で、かつネタバレなしで感想を書いています。
あらすじ
太平洋岸のとある孤島、なかなか予約が取れないことで知られる有名シェフのスローヴィク(レイフ・ファインズ)が仕切る超高級レストラン「ホーソン」。
タイトなドレスに身を包んだ明るい髪色の若い女性:マーゴ(アニヤ・テイラー=ジョイ)と、高そうなスーツに身を包んだ若い男性:タイラー(ニコラス・ホルト)のカップル。
タイラーは期待と喜びに打ち震え、その時を今かと待ち焦がれている。
マーゴは気だるそうに柱もたれ掛かりタバコをふかし、全身で「興味が無い」ことを表している。
船でしかいけない孤島のレストラン、波止場には年齢も人種もさまざまな客11人が一堂に会する。
彼らは「選び抜かれたセレブな客だけが味わうことを許された究極のフルコース」を堪能するために集まっている。
誰もが喜び勇んでいる中、マーゴだけが笑っていない。
島に着くと、給仕長:エルザ(ホン・チャウ)が出迎え、島内を案内してくれる。
食材はすべて「島」にあるもので調理している。
レストランは贅を尽くした造りになっていて、大きな窓からは海が見える。
オープンキッチンでは、何人ものシェフが11人の客のために動いている。
圧倒的な存在感のシェフが作る料理に感動するタイラーとは対照的に、マーゴはどことなく違和感を抱き始める。
舌も目も満足させる料理、そこには想定外の「サプライズ」が添えられていた… 。
登場する人物像
登場人物は、実際に居そうな人。
と製作側はいうが、一般庶民には理解できない。
そういうタイプの人がいることすら知らないだろう。
こういう美食の世界があって、いろんなタイプの金持ちがいて、ものすごい高額かつ高級な食事をしている、という世界。
「金持ちは美味いもん食ってるんだろう」くらいの想像力しか庶民は持っていない。
知らない世界を知るには積極的な情報収集と探究心が必要、この映画は(一部の演出を除いて)そういう世界があるということを知ることができる。
孤島の要塞
孤島にある超高級レストラン「ホーソン」。
スタッフは島に住み、シェフも島に住んでいる。
スタッフは寮生活をしていて、シェフ(スローヴィク)は一軒家に住んでいる。
シェフだけの一軒家は、スタッフも立ち入れない、シェフだけの場所だ。
ここはレストランという名の要塞だ。
これが後々、重要なポイントになる。
刺さった言葉
ただ食べないでください、味わうのです。
志を失った職人は哀れだ。
食材と生産
現代の子供たちは「生産の場」から最も遠い場所にいる。
ウシさん、ブタさんは知っていても、それが牛肉や豚肉と結びつく子は居るだろうか?
魚でいうと「切り身」が泳いでいると思っている子が本当にいる。
スーパーマーケットで販売・陳列しているのが「切り身」だから。
身近にあるのが「加工されたもの」ばかり並んでいるから、それしか知らない。
鮭の切り身、マグロの切り身。
この おさかなの なまえは?
鮭(切り身)よ
「料理」がどのような「過程」と「経緯」を経て自分の目の前に「有る」のか。
考えたことはあるだろうか?
過程(プロセス) | ある一連の物事が進んでいく途中のそれぞれの段階を示す |
経緯(いきさつ) | その物事が結果に至った理由・原因などをも含んだ言い方 |
小学生がブタを飼育する
こんな番組を見たことがある。
「小学校で子ブタを飼育してみんなで食べる」
大阪の小学校で1990年7月から1993年3月の2年半(900日間)にかけて行われた授業をまとめた番組。
取材した映像を見たので、ドキュメンタリーな作りの番組だったのを覚えている。
映画化もされたが、児童数を32人から26人に減らしたり、場所を大阪から東京に変更したりと、実際とは異なることが多々ある。
映画の中で子供たちの議論するシーン、子役たちは与えられたセリフではなく自分で考えた言葉で話している。
演技ではなく、素直な気持ちでありのままの姿で議論して、自分たちで答えを見つけてほしいとの思いから台本を配らなかったそうだ。
この授業は、のちに大きな話題となり賛否両論を巻き起こした。
2007年公開 映画『いのちの食べかた』
映画「いのちの食べかた」
日本では2007年に公開されたドイツ映画。
食べ物の大規模・大量生産の現場を描いたドキュメンタリー映画。
ナレーションやインタビュー、BGMなどを入れず、生産現場とそこで働く人々を映し出すのみの映画。
たしか、今は閉館した「テアトル宇都宮」で鑑賞した記憶がある。
食材がどういう経緯で食卓に並ぶのかは「知っていた」けど、生産者でなければこうして実際に「見る」機会は少ない。
私にとってこの映画は、ものすごく衝撃的でショッキングだった。
見る人によってはトラウマレベル、鑑賞する際は気をつけてください。
知識だけで知っていることと、現場を見て知ることでは、その差はとてつもなく大きい。
凄まじい経験値を叩き込んでくれた、素晴らしい作品。
生きるということ
人間が食材と決めたものの命を食する。
つまり、死を食べている。
死を取り入れることで生を成している。
人間の欲
食事は喜びであり、幸せだ。
食べることで、人間の3大欲求のひとつが満たされる。
世界一予約の取れないレストラン
世界一予約の取れないレストラン「Noma」は、デンマークのコペンハーゲンにある。
英国のレストラン誌が選ぶ「世界ベストレストラン50」第1位に、これまで4度も輝いた形跡を持つ。
あまりにも予約が取れないことで有名になり、予約の取れなかった客が周辺のレストランへと流れるなどデンマークの観光や経済に大きく貢献している。
世界最高峰のレストランに、唯一の日本人シェフがいる。
Nomaを知ったのは、TBS「クレイジージャーニー」という番組がキッカケだ。
この番組は「独自の視点やこだわりを持って世界&日本を巡る【クレイジージャーニー】たちがその特異な体験を語る、伝聞型紀行バラエティ」というコンセプトで繰り広げられている。
ゆえに、普通に生活している庶民では絶対に体験できない、もはや知ることのない超独特な世界と強烈な体験談が見られる。
それこそ、良い子がテレビを見るゴールデンタイムでは放送できないものばかり。
番組DVDは7巻まで販売されている。
この映画を観ていて、クレイジージャーニーで見た「Noma」のようだと思った。
職人という芸術家
孤高の天才シェフ、スローヴィク。
彼が切り盛りする高級レストランは、最も予約が取れないレストランとして有名だ。
彼が作る空間や時間、もちろん料理も、すべてが芸術的だ。
料理に関する過程や歴史、演出も含めてすべてが芸術的。
そんな芸術的な作品に対して、人々は歓喜・称賛し、彼に群がる。
彼自体が、もはや特別であり芸術だ。
そんな芸術を前にして、とある客の行動。
「食べない」
皆が讃える芸術作品を前にして、拒絶する客。
彼は客に不審感を抱き、客を問い質しても納得がいかず、疑心暗鬼になる。
客の行動によって、少しずつ歪みが生じ、見えない歪みが露見していく。
その客だけが異質な存在として、目の前のことを外部視点で客観的に見ていて、正気を保っている感じがある。
芸術家の思考
真の美食家はシェフだ。
芸術として完成することを目的とした芸術家。
本来の目的である「食べてもらう」を無視した芸術家。
あらゆる手段を駆使して料理を作り上げる。
客に食べてもらい喜ばせる、ということは無視して。
もてなすというより、作品を完成させることを重視している。
芸術家は、常に精進し続ける存在。
終わりの見えない、常に途中の状態。
ゆえにいろんな芸術家は「終わらせる」ことを重要視するのだろう。
文豪も、画家も。
ガストロノミー
ガストロノミーとは、食事と文化の関係を考察すること。
食や食文化に関する総合的学問体系と言うことができ、美術や社会科学、さらには人間の消化器系の点から自然科学にも関連がある。
料理にまつわる発見、飲食、研究、理解、執筆、その他の体験に携わること。
料理にまつわるものには、舞踊・演劇・絵画・彫刻・文芸・建築・音楽、言わば芸術がある。
だがそれだけでなく、物理学・数学・化学・生物学・地質学・農学、さらに人類学・歴史学・哲学・心理学・社会学も関わりがある。
これらに取り組む料理人が日本に居る。
これも偶然見たテレビ番組で知った。
いつか体験したいお店。
米田肇シェフのような「性質の異なるもの」と「料理」を融合させたマンガ。
現在は3巻まで発売されている。
忠誠心がもたらすもの(閲覧注意)
異常な忠誠心は、カルト集団のそれに近い。
崇めるものが何なのか、それによって美徳とされたり酔狂とされたり。
心酔 | ある人を心から敬い尊敬すること |
崇拝 | 対象そのものを崇めて敬い教えや行動を全て信じる |
従順な忠誠心は人を神格化させる。
従順 | 性質・態度などが素直に従い逆らわないこと |
忠誠 | 尊敬の念を伴った献身と服従の態度を示すこと |
服従 | 他の意志や命令に従うこと |
シェフを崇拝するスタッフを見ていて、カルト集団に似ていると思った。
アメリカのカルト集団「人民寺院」(教祖:ジム・ジョーンズ)が1978年に南米ガイアナで起こした人民寺院事件を思い出した。
ショッキングな内容なので閲覧注意。
職人と消費者(経営者)との温度差
映画の中でも、職人と経営者の温度差が明確に描かれている。
人間関係とビジネスは、とても複雑な関係性。
消費されるサービス
作り手と受け手の関係性が変化しつつある今の時代。
仕事やサービスが細分化し、必要なものだけを切り取って直接つなげて新たな事業展開に発展させる。
金を払って受け取るだけになるので、商品やサービスに「作り手の想いや愛情」が無くても商売は成立する。
作り手の愛情や工夫(苦労)は必要としないので、感謝の気持ちも薄くなる。
- 友達だから
- 知り合いだから
- 取引先のお得意さんだから
- 簡単なことだから
- これだけだからチャチャッとやればすぐ済むでしょ
何かと「関係性」をチラつかせてタダ働きさせようって思ってる人が一定数いるのは確かだ。
商品やサービスを提供する側、それらを金を払って大量消費する消費者の関係になっている。
「30秒で描いた絵」
ピカソのこんな話がある。
大人気ゲーム「ドラゴンクエスト」シリーズの作曲家:すぎやまこういちさんの「5分」エピソード。
そして、5万ドルのチョークというエピソードも記載されている。
思ったこと1
庶民としての視点で思ったこと。
金持ちは「非効率的」と「無駄」を『美』と取ること。
観るだけのバイオエタノール暖炉とか、ほんの一部分しか照らさない間接照明とか。
そういうものに価値をつけて「芸術」にする、すごいなーと思った。
ものすごく大きな皿に、ちょこんと乗せられた小さな料理とか。
そのものだけに価値を付けるのではなく、演出も価値にする。
なるほど。
あらゆるものに余裕が無いとできないね、こういうのは。
思ったこと2
ところどころにツッコミ所があった。
ブラックコメディというジャンルなので、それらは程よいアクセントになる。
「学資ローンは?」のくだりとか。
「なんで上にあるアレが先にああなって、下にあるアレが原形を留めているんだ?(笑)」とか。
心の中でツッコミ入れた。
風刺
正直いうと、私は「皮肉めいた風刺」や「ブラックコメディ」がよくわからない。
隠されたメッセージもまたしかり。
説明がないと理解できない。
教養と知識がないから理解できないのかな?
それとも、そういう作品に触れた経験が少ないからかな?
映画という娯楽
ここ最近の映画は、単純明快なものが少ない。
作り手の意図や構成がギュウギュウに詰まっている。
娯楽というよりは教本・授業に近いかも。
説明なく進んでいくストーリーの中から、人物像や心理状態、そして歴史などの背景も考えながら鑑賞しなければならない。
特に人物設定は設定されないので、ストーリーから予測しなければならない。
作り手がより賢くなり、観客はよりバカになってる証拠なのかもね、私を含めて。
オーダー(料理の注文)
世界最高峰の天才シェフに突きつけるオーダー(注文)は、●●●。
庶民的かつ安価の●●●●●というジャンルの食べ物。
理由は、壁に貼ってある新聞記事。
それを天才シェフが「最高の●●●」に仕立てるために腕を振るい、目の前の客をもてなす。
客が食べたいものを作って、食べてもらって美味しいと言われて、その対価をいただくことが料理人の最大の喜び。
その喜びを目の当たりにして、シェフは少しだけ笑顔になる。
「ひとりの料理人」へと変化した瞬間だと思った。
死ぬ前に何を食べたい?
人間にとって「食べる」ということは、重要なことだ。
よくある質問に「明日死ぬとしたら、死ぬ前に最後に何を食べたい?」がある。
要は「最後の晩餐」だ。
私は「死ぬ前に何が食べたい?」と聞かれたらこう答える。
『なにも食べない』
他者の生を奪い、自分の生にする。
死ぬことが確実にわかっているのなら、他の命を奪うことはしない。
生きてほしい。
最後に
この記事を読んでいるあなたに問う。
「死ぬ前に何が食べたいですか?」
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