映画を観に来た、というより、音楽を聞きに来たという方が正しい。
あの有名な曲を、映画館の音響設備で、耳だけじゃなく体感する。
しかも、自分が生まれる遥か昔の作品を、現代の映画館で鑑賞できるなんて、この上ない御褒美だ。
あらすじ
サイレント映画の人気スター:ドン(ジーン・ケリー)とリナ(ジーン・ヘイゲン)は、お似合いのカップルともてはやされていたが、それは映画会社の話題作りのためで、実際はリナが一方的にドンに熱を上げているだけだった。
そんな中、映画界にトーキーの波が押し寄せ、二人の新作もトーキーで撮影されることに。
そしてリナに代わり、ドンが恋に落ちた新人女優キャシー(デビー・レイノルズ)が代役を務めることになる。
キャスト
役名 | 俳優名 | 人物像 |
---|---|---|
ドン・ロックウッド | ジーン・ケリー | 大人気の映画スター、歌って踊れるマルチ俳優。 |
コズモ・ブラウン | ドナルド・オコナー | ドンの大親友、表に出るドンとは違い、裏方に務めている。 |
リナ・ラモント | ジーン・ヘイゲン | 見目麗しい大人気映画スター、彼女が人気になった理由は……。 |
キャシー・セルダン | デビー・レイノルズ | 舞台女優、といううよりショーダンサーに近い。 |
R・F・シンプソン社長 | ミラード・ミッチェル | 映画製作会社の社長。 |
1952年
1952年は昭和27年、2025年のいまから73年前。
この年の出来事。
- 日米講和条約、安全保障条約発効・GHQ廃止
- 米国戦前の大作「風と共に去りぬ」(ヴィクター・フレミング監督)を600円という非常に高額な料金で公開(当時の映画鑑賞料:122~130円)
- 松下電器産業(現:パナソニック)、 白黒テレビ発売
- 日本初の「本格民間」ボーリング場、東京ボーリング・センターが青山にオープン
舞台設定:1929年
1929年は昭和4年、2025年のいまから96年前。
- ヨシフ・スターリンがレフ・トロツキーを国外追放、スターリンの独裁体制がここに完成
- 合名会社江崎商店が株式会社江崎(現:江崎グリコ)に組織変更される
- 小原國芳が東京府南多摩郡町田町に学校法人玉川学園を設立
- 五官立大学(東京工業大学・大阪工業大学・東京文理科大学・広島文理科大学・神戸商業大学)発足
- 小田急江ノ島線、相模大野駅 – 片瀬江ノ島駅間開通
- 初のターミナルデパート「阪急百貨店」が開店
- 隅田川に厩橋(うまやばし)完成
- ニューヨーク証券取引所で株価が大暴落、世界恐慌の引き金となる(いわゆる「ブラック・サーズデー」 )
- 近鉄花園ラグビー場が開場
- 東京駅に八重洲口開設
- 人形クラブ(現:人形劇団プーク)結成第一回公演
笑顔
この作品、というかこの時代の人たち?
笑顔なんだけど、口が開いている人が多いね。
笑顔=口を開ける、わかりやすくリアクションのためなのか?
ドンとリナの出会い
この二人の出会いは「サイレント映画」がキッカケだということ。
これをしっかり覚えていると、おお……そう来るか……という展開になる。
現代の人間からすると「サイレント映画」は馴染みがないから、映像に音が無いということがいまいちピンとこない。
いまの映像には、あらゆる音が含まれている。
サイレント映画
新作お披露目でのこと。
ドン&リナのサイレント映画が上映される。
サイレント映画=無音、というわけではない。
音楽(BGM)は流れている、ステージの真下で生演奏。
劇中のセリフは、合間合間でテロップが映し出される。
お互いの役名、例えば「ロミオ!」と書かれたテロップ、「ジュリエット!」と書かれたテロップ。
重要なセリフはテロップに、それ以外は口パクでテロップ無し。
映画という娯楽
1929年、まだ貴族社会の構成が色濃く残る時代。
人間のカースト、社会的カースト、地域的カースト。
映画は、貴族というか金持ちのための娯楽なんだろうね。
映画だけでなく、ショーや舞台は、貴族用の娯楽なんだろうね。
鑑賞している人たちの服装が、それを表している。
ドレスコードってやつ。
上映後の舞台挨拶で
この時のリナが本当に素晴らしい。
顔だけで感情を表現している、しかも素早く。
顔の筋肉がものすごく動く、この作品の俳優はみんな凄い表情が豊か。
MI:6?
ドンの過去の回想にて。
バイクで爆走 → 崖からバイクもろとも飛び出す → 川へ……。
なんだかドンがトム・クルーズに見えてきた。
73年も前にアレをやっていたなんて、すごいなぁ……。
「舞台演技」と「映像演技」の違い
映像演技は、役者のすぐ近くに撮影スタッフがいる。
役者がセリフを言う目の前に、カメラマンや音響・音声スタッフがいる。
ゆえに、日常生活に近い演技になる。
これが舞台演技になると、映像演技では観客に伝わらない。
座席からステージが遠ければ、声も届きにくいし役者も見えにくい。
だから、わかりやすいように大きく演技をする。
小さな独り言も大きな声で言うし、感情はボディーランゲージ並みになる。
「無音映画」と「有音映画」の違い
無音映画と有音映画の違いがおもしろかった。
映像に音が乗らないのなら、撮影現場で何しようと構わない。
映画に音が乗ると、撮影現場では気を遣う。
声を拾うのは「マイク」だ。
では、マイクは何をするための道具なのか。
それは音を拾うための道具。
必要な音だけでなく、不必要な音も拾う、そこにあるすべての音を拾うのがマイク、しかも有線の。
これがまたものすごくおもしろくて、思わず声を出して笑いそうになった。
例えるなら、小学生のとき(昭和)に、好きなアニメの歌をラジカセで録音したとき。
雑音が入らないように、細心の注意を払い、テレビの下にあるスピーカーにラジカセを置き、歌が始まる数秒前からスタンバイし、録音ボタンを押す。
声を出さず、音を立てず、歌が終わるのを待っていると、なぜか「ご飯だよー!」の声が。
もちろん、すべて録音されていてアアアアアアアア(絶望)。
懐かしいね。
Singin’ in the Rain
誰しもが1度は聞いたことのある、この曲。
映画を観たことがなくても、この曲を聞いたことある人もいるだろう。
私も今日まで未鑑賞だったが、この曲は知っていた。
和訳
「Singin’ in the Rain」の「Singin’ 」。
これは「singing」の省略形らしい。
意味は「歌っている」。
直訳すると「Singin’ in the Rain」は「雨の中で歌っている」になる。(と思う……)
それを『雨に唄えば』と和訳したセンスが素晴らしい、なによりオシャレだし、粋だ。
雨
貴族や金持ちにとって、雨は厄介な存在。
服は濡れるし、髪やメイクは乱れる。
農夫にとっては恩恵だが、金持ちにとっては弊害。
そんな弊害でも、心が満たされて幸せな気持ちだと、歌いたくなる、踊りたくなる。
気分が良い・ご機嫌だと、鼻歌を歌うのと一緒だ。
弊害をも吹き飛ばす幸福感、すごいパワーだ。
リナ
男女問わず人を虜にする美貌の持ち主:リナ。
彼女はなぜかしゃべらない。
理由はそう、声。
少しダミっていて甲高い声が、美しい見た目と合っていない。
わかりやすくいうと、安田大サーカスのクロちゃん。
イカつい顔面なのに、しゃべりだすとアニメ声という、見た目と声が合っていない。
『雨に唄えば』での終始甲高い声で喋っている姿の印象が強いが、実際には穏やかな声の持ち主であり、『雨に唄えば』での劇中劇のリナの台詞をキャシーが吹き替えるシーンでの台詞も、ジーン自身が吹き替えたものが使われている。また本作での劇中劇「踊る騎士」の中の歌はベティ・ノエスが吹き替えたものが使用された。
Wikipedia:ジーン・ヘイゲン
本当は、見た目通りの声なのだとわかり、リナという人物がより可愛くみえてくる。
CG?合成?
いくつかのシーンで、合成映像が見られた。
いまの時代であれば、パソコンでチョイチョイとやれば簡単に合成映像は作れる。
しかし、73年前のこの作品、どうやって合成映像を作ったんだろう?
シーンとシーンのつなぎのフェードアウトも、どうやったんだろう?
すごく気になった。
役者が凄い
役者たちの身体能力の凄さと言ったらもう、圧巻だった。
ひとつひとつのシーンが、長回しのワンカットが多い。
ということは、すべて役者が行っているということ。
特にドン(ジーン・ケリー)とコズモ(ドナルド・オコナー)の動きったらもうね、なんていうのかな、堺正章さん。
多彩な多才、多芸多才、何でもやるし何でもできる、これぞオールラウンダー。
ダンス
ダンスひとつとっても、これまたすごいのよ。
タップダンス、社交ダンス、バレエ、それを役者がこなしている。
歌いながら、演技しながら、クルクルと位置を変えながら、いくつものダンスをする。
すごい、という言葉しか出てこない、圧巻だ。
ダンスに関しては、ドン(ジーン・ケリー)が抜きん出て凄い。
見せ方を知っている……というか、顔の残し方とか、姿勢とか、体幹とか、動きがブレていない。
頭を残した上で、首から下を自由自在に動かして踊っている。
役者と言うより、プロダンサーだ。。
テンポ
いろんな映画を観てきて思ったこと。
なぜコメディーの表現ときは、音楽のテンポが速いのか。
コメディー=笑い、笑うと気分が良くなり、血流も良くなり血圧も上がるし、アッハッハの笑い声と共に酸素を多く取り込むから呼吸器の循環も良くなる。
そして、心拍数も上がる。
心拍数上昇=鼓動が早くなる、それに合わせてテンポが速いのか?
逆に悲しいときやムードを出すときは、ゆっくりとしたスローテンポ。
もしかして音楽は心拍数に関係しているのかもしれない。
なんて思う今日この頃。
最後に
いまは良い時代になったね。
映画を身近に感じられる。
身近すぎて、フィルムからデータになり、映画館から配信に。
特別な娯楽が、大衆娯楽になった。
いまは娯楽というより、単なるコンテンツのひとつになっているのかも。
すごい良い作品を、しかも映画館で鑑賞できた。
すごく嬉しい、ありがとう。
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