『音楽を聞きに来た』
と言っていた3時間前の私を、今の私が悔いている。
鑑賞前
私が知るエルヴィス・プレスリーは、もみあげ&音楽(監獄ロック)、そしてロックスターということくらい。
この映画を見て、3時間で42年分のエルヴィス・プレスリーを知ることができた。
鑑賞前にWikipediaでエルヴィス・プレスリーを検索。
エルヴィスの生い立ちと人生を少し知る。
文字で書かれる彼の人生と、映画で観る彼の人生は、同じだけど全く違う。
エルヴィスと音楽
魂が激しく動くほどの、衝撃的な音楽との出会い。
一瞬でトランス状態に陥るほど、強烈な出会い。
彼を作り上げるのは、当時は禁忌だったブラックミュージック。
彼の中には、肌の色の違いは無かった。
あっという間にスターに駆け上がるエルヴィス。
彼は人類史上初のアイドルだ。
彼の全てに、人々は熱狂した。
エルヴィスは当時の世界情勢を気にすることなく、自分を貫き通す。
それが歴史を変え、世界を変え、人を変えた。
オースティン・バトラー
エルヴィス・プレスリーを演じるオースティン・バトラー。
スクリーンの中で激しく歌い踊るオースティン・バトラーを観ていると、エルヴィスが乗り移っているかのよう。
少しだけ顔が違うだけでホントはエルヴィスなのか?と錯覚するほど、オースティンはエルヴィスだ。
エルヴィスが持つ、コントロール不能なエネルギーと抑えきれない情熱が、エルヴィスを歌わせ、エルヴィスを踊らせる。
まるで爆弾だ、爆弾。
ショーが始まる前から導火線に火がつきチリチリと燃え始め、徐々に本体に近付き、ステージに立った瞬間に一気に爆発する。
ステージを目いっぱい使って、体で表現するエルヴィス。
芸術家だ、アーティストだ。
こんなにも情熱を持って歌う人は居るのだろうか?
彼は常に「エルヴィス・プレスリー」だ。
ステージを降りてもなお「エルヴィス・プレスリー」なのだ。
それがエルヴィスを高ぶらせて、エルヴィスを苦しめる。
このエルヴィス・プレスリーは若い俳優が演じている、それを忘れるほどの、熱い熱い演技。
愛される存在
彼は、世界中の人に愛されている。
と同時に、愛に飢えて、愛が枯渇している。
オードリー・ヘップバーンも、フレディー・マーキュリーも、同じだった。
NYライブ
NYでのライブシーンは、エルヴィスが持つ『狂気』が映し出されている。
あの映像は、震えた、感動した。
エルヴィスの、魂の叫びだ。
クリスマスのテレビ特番もまたしかり。
これも本当に良かった。
見失った自分を取り戻すために、自身を鼓舞し、自分を思い出させる。
エルヴィスが再び爆発する。
ビジネス
人間関係とビジネス。
これは本当に難しい。
「人を資本としたファンビジネス」と「ショービジネス」は、似て非なるもの。
完全に違う。
前者は『愛の後ろに金(かね)がつく』、後者は『先に金(かね)がつく、そして愛があるとは限らない』。
「表現」と「手段」の違い、『演者』と『経営者』の違い、【感情】と【勘定】の違い、これは当事者ではないけどよく分かる。
そういう声を聞いたことがある。
災害が起きて悲しむ人を元気づけたいという建前だが実は日銭が欲しい経営陣、大変な思いをしている人がいるのだから公演せずに自粛すべきと考える演者。
どちらの言い分も理解できるが、相反しているので交わることは不可能、ゆえに難しい。
互いの欲が、交差せずに一方通行。
「なに」が脳を興奮させて、「どこ」に依存し溺れさせるのか。
自己顕示欲の行く先はどこなのか。
愛なのか、金なのか、それともどちらもなのか。
愛を歌うエルヴィス
いちばん最後。
ピアノを弾きながら、熱く歌い上げるエルヴィス。
愛の歌。
彼の歌声に泣いた。
忠実に再現しているところも、本当に泣ける。
エンドロールでも彼の歌声が響き渡る、涙が止まらない。
なんでこんなに泣けるのか、理由は分からない、検討も付かない。
号泣に近い泣き方、本当に止まらない。
映画の最後を飾る選曲が、愛の歌。
これがまた泣ける、思い出して泣ける。
苦しい、自分の感情が苦しい。
購入
DVD、Blu-ray、PrimeVideoなどで鑑賞できる。
最後に
彼は『エルヴィス・プレスリー』で幸せだった。
しかし『エルヴィス・プレスリー』でいる限り、幸せではなかった。
コメント