上映時間 111分。
ものすごく長く感じた映画だった。
あらすじ
アメリカの高校で、生徒による銃乱射事件が発生する。
多くの生徒が殺され、犯人の少年も校内で自ら命を絶った。
その事件から6年、被害者の夫妻はいまだに息子の死を受け入れられず、事件の背景にどういう真実があったのか、何か予兆はなかったのかという思いを募らせていた。
被害者の夫妻はセラピストの勧めで、加害者の両親に会って話をする機会を得る。
教会の奥の小さな個室で、立会人もなく顔を合わせた4人はぎこちなく挨拶を交わす。
推理する観客
なんの説明もなく、映画は進んでいく。
観客は、登場人物、関係性、セリフ、雰囲気、リアクションなどから推測していく。
ある人物の言葉によって、どちら側なのかがわかる。
推測(すいそく) | ある事実や情報に基づき、おしはかって考えること | 現在分かっている事実や情報に基づく |
推察(すいさつ) | ものごとの事情や他人の心中をあれこれ思いやること | 他人の気持ちなどを察して思いやる |
推定(すいてい) | ある事実を手がかりにして、おしはかって決めること | 「決定」の意味合いが含まれる |
推量(すいりょう) | ものごとの状態や程度、また他人の心中などをおしはかること | 事実や情報を基にしているとは限らない |
推理(すいり) | ある事実を基にして、まだ知られていないことがらをおしはかること | 想像より論理性を重視する |
主な登場人物は4人
とある教会の一室に、2組の中年夫婦が集まる。
この2組の共通点は、共に息子を亡くしたこと。
違いは、加害者側と被害者側。
アメリカの高校で起きた銃乱射事件。
1人の男子生徒が起こした事件。
何を言うのか。
何を話すのか。
銃乱射事件から6年後
事件から6年。
この場が設けられた。
6年という時間が、2組の家族に特殊な関係性を生み出し、それが「安全」と「信頼」に変わり、今回の『対話』になったのだ。
その2つが無ければ、対面での会話は不可能だ。
感情的に行動するかもしれない、衝動的に傷付けてしまうかもしれない。
あらゆる「かもしれない」が現実となってしまう可能性が大いにあるからだ。
丁寧に時間をかけて作り上げたからこそ、この対話は実現した。
銃社会:アメリカ
しばしこういった事件は起こる。
銃を持つ諸外国での出来事であり、日本人の私にとっては対岸の火事。
非日常的で惨烈な事件や事故、テレビ・パソコン・スマホの画面越しに見るその風景は、どこか無関係に感じてしまう。
自分は安全な場所にいる上で見ているから、当事者ではない限りどうしても他人事になってしまう。
特に銃に関する事件は、どうしても身近に感じにくい。
人間は、身近な死しか悼めない生き物なのだ。
惨烈(さんれつ) | 極めてむごたらしい、極めて厳しい |
凄惨(せいさん) | 目を背けたくなるほど痛ましいこと、ひどくむごたらしい |
惨:むごい、痛ましい | 烈:勢いが激しい | 凄:すさまじい、ゾッとする |
自身をむしばむ孤独
明るくて誰からも好かれる人気者。
親しみやすくて笑顔が素敵なムードメーカー。
そんな人でも、心に持つ闇がある。
言いようのない「孤独」。
そんなものを持っていなさそうな人でも、小さなカケラがある。
ふとした瞬間に、どこからともなく顔を出す孤独。
それはジワジワと膨らみ続ける。
いつの間にか、抱えきれないほどの大きさに育っている。
特に厄介なのは、自分で自覚できない孤独。
自覚できていないから、孤独に気付かない、気付けない。
誰からも愛されている俳優やミュージシャンも、耐えきれないほど強大な孤独を抱えている。
オードリーヘップバーン、エルヴィス・プレスリー、フレディ・マーキュリー。
彼らの深部にも絶望的に強大な孤独があった。
リアルとバーチャル
現実での友達関係がうまくいかないこともある。
ネット(ゲーム)での友達の方が仲良くなることもある。
実生活で友達がいれば、こういう惨烈な事件は起きなかっただろうか。
ネット(ゲーム)の中でしか友達がいないから、こういう惨烈な事件が起きてしまったのか。
私はどちらでもないと思う。
人間が複数いれば、いつでも、どこででも起きる、そう思う。
記憶と過去と意識
全てのことは過去だ。
しかし、過去のことが現在進行形になることがある。
思い出した時だ。
思い出した瞬間、過去が現在になる、しかも進行型の。
何かにつけて「思い出すキッカケ」を見出してしまう。
思い出という記憶の中から、その事の端々を見つけてしまう。
探してしまう。
結びつけてしまう。
どこかに、その存在を、あるものとして、意識してしまう。
五感(視覚、聴覚、触覚、味覚、嗅覚)の他に、時間、場面、街並み、風景、書物、写真、映像、音楽、など。
「何か」と付随して「記憶」してしまう。
本人の意思とは無関係に。
そして、消去できない、忘れられない。
ある人物の意を決した言葉
後半、ある人物の言葉で、この映画は途端に熱を帯びる。
それは、その人の奥深いところで抑えていた言葉。
苦悩、悲嘆、悩み抜いたからこそ出た言葉。
それが部屋に響く時、初めて解放の兆しが見える。
自分がどうあれば、自分を癒し、乗り越えて、救うのか。
泣く、悲しむ、怒る、今を楽しむ、忘れる、愛する。
人それぞれ違う。
自分のやり方と違う = 事態を重く見ていない、という訳ではない。
その人が、その人なりに編み出した、その人のやり方で、自身と向き合っている。
BGMが無い
一切のBGMが無いという構成。
唯一あるとしたら、最後に聞こえる練習風景。
不器用でぎこちない音が、とても温かくて、とても美しい。
エンドロールもピアノをメインにした静かな音楽、この映画の構成にとても合っている。
さだまさし:償い
1982年発売 さだまさし「償い」
この映画を観て、この曲の重さを改めて認識した。
最後に
「对峙」
この映画はドキュメンタリーというより実況中継に近い作品。
加害者と被害者。
互いは似て非なるもの。
とても考えさせられる。
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