映画館へ行く楽しみは、作品を観るだけではない。
公開予定の作品のチラシ(フライヤー)をチェックすることも楽しみの1つだ。
この映画のチラシを手にしてからは、公開が待ち遠しかった。
あらすじ
北アイルランド、ベルファストにあるホーリークロス男子小学校。
ここでは「哲学」が主要科目になっている。
エルヴィス・プレスリーを愛し、威厳と愛嬌を兼ね備えたケヴィン校長は言う。
「どんな意見にも価値がある」と。
彼の教えのもと、子どもたちは異なる立場の意見に耳を傾けながら、自らの思考を整理し、言葉にしていく。
授業に集中できない子や、喧嘩を繰り返す子には、先生たちが常に共感を示し、さりげなく対話を持ちかける。
自らの内にある不安や怒り、衝動に気づき、コントロールすることが、生徒たちの身を守る何よりの武器となるとケヴィン校長は知っている。
かつて暴力で問題解決を図ってきた後悔と挫折から、新たな憎しみの連鎖を生み出さないために、彼が導き出した1つの答えが哲学の授業なのだ。

宗教的・政治的対立の記憶と分断が残る街で、哲学的思考と対話による問題解決を探るケヴィン校長の大いなる挑戦を映画化。
およそ2年に及ぶ撮影期間中にパンデミックが起こり、インターネット上のトラブルという新たな問題が表面化するなど、子どもをめぐる環境の変化も捉えている。
上映映画館
小規模映画館での上映が多い。
こんなにすばらしい映画なのに、シネコンでは上映しないなんてとても悲しいし残念だ。

北アイルランド
北アイルランドは、アイルランド独立戦争を経て誕生した。
アイルランド島において、北アイルランドはイギリスの一部であり、島の大半はアイルランド共和国という独立国なっている。
下記の画像:赤い点線が北アイルランド。

1920年のアイルランド統治法によってアイルランドが分割された際に、1921年に北東部の6つの郡の分権政府として誕生した。
当時の北アイルランドの人口の大半は、イギリスからの植民者の子孫である「プロテスタント」の人々。
残りは、独立したアイルランドの統一を望む「アイルランド民族主義者(ナショナリスト)」と「カトリック教徒」。
1920年から22年にかけて、首都:ベルファストでは、主に「プロテスタント・ユニオニスト」と「カトリック・ナショナリスト」の民間人による大規模な共同体間の暴力が発生。
500人以上が死亡、1万人以上が難民となったが、そのほとんどがカトリック教徒。
1960年代後半には、カトリック教徒とナショナリストに対する差別をなくそうとする動きがあったが、ロイヤリストによって反対され、3,500人以上の命と50,000人以上の負傷者を出した紛争を引き起こした。
カトリック | 共和派(リパブリック) & 民族派(ナショナリズム) | |
プロテスタント | 王党派(ロイヤリスト) & 統一派(ユニオニスト) |
カトリック VS プロテスタント
「プロテスタント」は「キリスト教の宗派で、ローマ・カトリック教会の信仰から分離して作られたキリスト教の新派のこと」という意味です。「カトリック」は「キリスト教の宗派で、初代キリスト教会からの流れを受け継ぐ宗派」という意味です。


カトリック VS プロテスタントという対立の根は、ヨーロッパにおける16世紀の宗教改革にある。
このとき、キリスト数の最大数派ローマ・カトリック数会のあり方に疑問が突きつけられ、大規模な改革運動へと発展したのであった。
ルター派やカルヴァン派など、カトリック教会に「抗議(プロテスト)」したさまざまな宗派は、まとめて「プロテスタント」と呼ばれた。
イングランドは隣のアイルランド島への植民に力を入れ、プロテスタント植民者が土着のカトリックから土地を奪うという構造ができあがっていく。
そして1801年、アイルランドはイギリス(イングランド、ウェールズ、スコットランドが合わさった「グレートブリテン王国」)に併合される。
1922年には「アイルランド自由国」となって自治権を得た。
しかし、アイルランド独立に猛反対するプロテスタントにより、「北アイルランド」として自由国から離脱する。
1960年代、黒人差別に反対する米国の公民権運動に影響され、北アイルランドでカトリックに対する差別撤廃を求める運動が盛り上がる。
誰もが平等である社会を目指すはずの運動が「カトリック」vs「プロテスタント」の分断へとつながる。
または「ナショナリスト」vs 「ユニオニスト」、アイルランド全島で一つの国家【ネイション】となることを目指す側と、北アイルランドとグレートブリテンとの連合状態【ユニオン】を維持する側との分断へと塗り替えられていった。
これが「北アイルランド紛争」(英語で“the Troubles”)の始まりである。
北アイルランド問題
1960年代後半、カトリックの少数派が被った教派分離に反対する公民権運動から紛争が始まった。
北アイルランドの帰属をめぐって、主にカトリックで構成される共和派と民族派、主にプロテスタントで構成される王党派(ロイヤリスト)と統一派(ユニオニスト)が対立。
カトリックとプロテスタントの紛争。
1969年の暴動を契機として、この年に最初の平和の壁が建設された。
平和の壁
北アイルランド紛争により「プロテスタント」と「カトリック」の対立が長く続いているベルファストの街には「平和の壁」と呼ばれる分離壁が存在する。
最初の壁は、ベルファストのカトリック地域とプロテスタント地域を分断するためのものだった。
1990年代前半には18か所だった平和の壁は年と共に数を増やしていき、2017年後半には少なくとも59か所に存在している。
総延長は21マイル(34 km)に達しており、そのほとんどはベルファスト内にある。
ベルファストにある平和の壁関連施設(門や道路封鎖を含む)の4分の3にあたる97地点は、都市の北部や西部に位置しており、この地域はベルファストの中でも比較的貧しい領域である。
1998年のベルファスト合意以降、大まかには平和が維持されているが、一部の武装化した組織が今なお存在し、若者の勧誘に余念がない。
近年では、平和の壁は観光地にもなってきている。
ベルファストの平和の壁や事件現場、著名な壁画をブラックタクシーでめぐるツアーが開催されている。
ホーリークロス男子小学校
この映画の舞台となっている学校。
Holy Cross Boys Primary School (ホーリークロス男子小学校)。
ベルファスト市北部、アードイン地区の中心地に位置するカトリック系の小学校で、4歳から11歳までの男子が通う。
密集する労働者階級の住宅街に北アイルランドの宗派闘争の傷跡が残るこの地域は混沌とした衰退地区であり、リパブリカンとユニオニストの政治的対立により、地域の発展が遅れている。
犯罪や薬物乱用が盛んなこの街の絶望感は、ヨーロッパで最も高い青年や少年の自殺率に反映されている。
学校を囲む高い壁には鉄条網が張られ、壁には政治的な落書きや壁画が描かれている。
2001年には姉妹校のホーリークロス女子小学校の子どもたちが地元のロイヤリストに通学路で脅迫される事件が起き、世界中のメディアで報道された。
ホーリークロス女子小学校
ホーリークロス男子小学校から北西に約1.6㎞、徒歩で16分ほどの位置に「ホーリークロス女子小学校」がある。
2001年、何百人ものロイヤリストの抗議活動参加者が、学童とその保護者が徒歩通学を阻止しようと罵声を浴びせるなど脅迫行為をした。
毎日の抗議活動中、イギリス兵の支援を受けた数百人の機動隊が子供たちと親たちを護衛。
デモ参加者の一部は宗派間の虐待を叫び、石、レンガ、花火、爆弾、尿風船を学童やその保護者などに投げつけた。
子供たちは「カトリック」と「プロテスタント」の2つの異なる宗派の住民同士の対立に巻き込まれ、心に深い傷を負った。
哲学とは
哲学とはなにか、ケヴィン校長は言う。
「問うこと」
なんでだろう
どうしてだろう
どういうことだろう
どんな些細なことも問うことが重要だ。
私はいろんなことが気になる「なんでなんで星人」、この映画は私にピッタリのとても素晴らしい作品だ。
「相手に怒りをぶつけてもよいか」
ケヴィン校長は子供たちに問う。
「相手に怒りをぶつけてもよいか」
子供たちは手を上げ、自分の意見を言う。
それを「コンセプト係」がホワイトボードに書き出す。
自分の意見を述べ、自分以外の人の意見を聞く、そして考える。
書き出された意見を、子供たち全員で吟味し、議論する。
議論の中で「良かった点」と「どうすればさらに良くなるか」を「ソクラテスの仲間」が書き出す。
子供たちは、自分たちで「自分たちの哲学の場」を作り上げていく。
思索
日本語字幕で頻繁に登場したのがこの言葉「思索」。
私にとって聞き慣れない単語であり、日常会話で使うことがない単語なので、調べてみた。
思索 | 物事の道理をたどり秩序立てて深く考えを進めること |
さらに同じような単語についても調べてみた。
思考 | 考えること |
思案 | 物思いにふけること |
思索 | ある問題について深く考えること |
思慮 | 注意深く考えること |
この映画において「思索」とは、ただ考えるだけでなく更に深く考えることを指している。
哲学を学ぶ子供たち
外国には、こういった「心」を学ぶ機会が幼少期からある。
自分の意見を言って、相手の意見を聞く、しかも教育機関(学校)で学ぶ。
早い段階で子供たちに教育として教えている。
日本では授業(教育)ではなくカウンセリングになる。
日本にも「道徳」はあるけど、こんなにも熱心に取り組んでいない。
- 良い行いをしましょう(世間一般的に)
- 困っている人がいたら助けましょう
- 盗んではいけません
- ウソをついてはいけません など
道徳は十戒に近いのかもしれない。
道徳 | 人が善悪をわきまえて正しく生きるための規範 |
倫理 | 社会の中で生きていく上で人として守り行うべき善悪の判断基準となるもの |
モラル | 社会の一員として当たり前に守るべき価値観であり道徳 |
意見と言葉
ケヴィン先生の言葉が刺さる。
どんな意見にも価値がある
だから言葉にする価値がある
考えるよりも簡単なこととは
考えるより鵜呑みにした方が簡単だしラクだ。
大人になると経験が増えて思考が短絡化し、衝動へと自動化させる。
感情と理性
理性とは、歴史的に長い年月をかけて試行錯誤を繰り返した中で培った「人間社会」で生きるために必要とされているもの。
野生の生き物には無いのかな?
理性は、道理によって物事を判断する心の働きや、論理的・概念的に思考する能力を指す言葉。
教育や社会生活を通じて、道理を学び、論理的・概念的に物事を把握し、思考する能力であり、同時に理性も身に付けて行く。
無くならない争い
カトリックとプロテスタントが紛争、いつの時代も宗教が争いの引き金になる。
そもそもキリストは争いを許しているのかな?
宗教が争いの種ではないのかもしれない。
結局は「人間」が争いの種だ。
自分以外の人がいる限り、争いは無くならない。
自覚しにくい心
喜怒哀楽以外の感情は自覚しにくいのかも。
人間の感情は、どうやら喜怒哀楽の4種類だけではないらしい。
人間の基本感情は8つあるそうだ。
- 喜び(joy)
- 信頼(trust)
- 恐れ(fear)
- 驚き(surprise)
- 悲しみ(sadness)
- 嫌悪(disgust)
- 怒り(anger)
- 期待(anticipation)
さらに細かくすると・・・こちらの記事に詳細が書かれている。

- いつ
- どこで
- 誰が
- どうしたのか
- 何を思い
- 何を感じたか
- どんな感情が出てきたか
- その感情は誰に対するものなのか
- それはどこからきたのか
- いつからあるのか
- 誰に向け(られ)ているのか
自覚していない感情に任せて衝動的に動いて相手を傷つけないために自分をコントロールする訓練。
そのきっかけのための哲学。
心の動き方は人それぞれ
失敗の受け止め方は、オプティミスト(楽観主義者)とペシミスト(悲観主義者)で全く異なる。
オプティミスト | 失敗は「一時的」「特定の」現象と捉える | 原因を「外向的」に考える |
ペシミス | 失敗は「永続的」「一般的な」現象と捉える | 原因を「内向的」に考える |
失敗の捉え方
失敗を「反省」と取るのか、それとも「後悔」と取るのか。
2つは似ているが、意味が大きく違う。
反省 | 自分の行いを振り返り「良くなかったこと」を改めるために考えること | 自分の行いを考える |
後悔 | 自分の行いを後になって悔やむこと | 自分の行いを深く悩む |
脳は使わないと衰える
筋肉は使わないと衰えてしまう。
1日なにもしないでほぼ動かないでいると、筋肉全体の3%くらいが減少すると言う。
使い続けていれば維持できるし、いま以上に育てることができる、要は「筋肉は裏切らない」。
脳も同じだと思っている。
使わなければ衰える一方だ。
脳を鍛える、それは「思考をめぐらせること」だと私は思う。
勉強は「外部の情報」を入力(インプット)する行為。
思考は「内部の情報」を整理・思索・理解するための行為。
考えることを止めると、些細なことに気付けなくなり、情報を鵜呑みにしてしまうのではないだろうか。
1番怖いのは、自分のことがわからなくなること。
「なぜその行動をしたのか」
「いま自分がどんな感情を持っているのか」
そう聞かれて答えられない人が多い。
意図的に「考える」をする
自分自身のことを理解するためにも、意図的に「考えること」をしている。
その1つが趣味である映画鑑賞。
思考の訓練、というと大げさかもしれないが、映画を見ていろんなことを考えるようにしている。
作り手の意図は何か。
このアングルからの撮影に意味はあるのか。
どのセリフが刺さったのか。
どのシーンで心が動いたのか。
私がその映画を選んだのはなぜか。
あれこれ考えながら観ている。
その記録として映画鑑賞記事を書き始めた。
最後に
子供の頃から哲学に触れる、これはとても素晴らしいことだと思う。
自分自身を知るために、そして他者を知るために、人間社会で共存していくためにも哲学は必要だと思う。
この映画では子供たちに哲学を教育として教えている。
素晴らしい取り組みだと思う。
鑑賞後は少し違った意見が出てきた。
子供だけに哲学が必要なのではない。
大人にこそ哲学は必要だ。
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