映画館に行くと必ずするのが「上映予定作品のフライヤー」をチェックすること。
観る・観ないは関係なく、気になった作品のフライヤーを持ち帰るようにしている。
あとで見返したとき、そのときの自分が「何を気にかけて」「何に興味を持ったのか」を改めて知ることができる。
実話やドキュメンタリー作品が好きだ。
前回観た映画「ぼくたちの哲学教室」で教育に強い関心を持った。
この映画のフライヤーも同様、強く興味を引かれた。
興味 | あるものごとを好んで、積極的に関わろうと思うこと。 | 好んで関わる |
関心 | 好き・嫌いに関係なく、あるものごとの動向が気になり、注意を持つこと。 | 動向が気になる |
関心 | 立派な行為を見て強く心を動かされること、優れた技量を高く評価すること。 | 相手を評価する |
あらすじ
1億2,100万人。
これは就学費用がない、近くに学校がない、学校に先生がいないなど、さまざまな理由から学ぶことのできない子どもたちの数だ。
日本でも大ヒットした「世界の果ての通学路」(12)の製作チームが、今度は世界の果ての先生に注目した。
3つの地域で奮闘する女性教師に密着。
識字率アップが国家の使命であるブルキナファソの新人教師であり、2人の子どもの母でもあるサンドリーヌ。
バングラデシュ北部のボートスクールで、子どもや女性の権利を守るために粘り強く闘う若きフェミニストのタスリマ。
広大なシベリアに暮らす現役の遊牧民であり、エヴェンキ族の伝統の消滅を危惧するスヴェトラーナ。
彼女たちが直面する困難も個性も三者三様。
子どもたちに広い世界を知ってほしいという情熱だけを胸に、家族と離ればなれになっても、両親から反対されても、彼女たちは「子どもたちには明るい未来がある」と信じる道を進み続ける。
先生たちと子どもたちの笑顔に、いつかの自分を思い出す感動の教室ドキュメンタリー。
この瞬間も世界のはしっこで、たくさんの夢が育っている。
劇場情報
ブルキナファソ
ブルキナファソは、西アフリカにある共和制国家。
人口 | 約2100万人 | そのうち100万人以上が国内難民となっている。 |
民族 | モシ人が約40%、モシ人以外の民族が約60%を占める | モシ人は西アフリカのサバンナ地帯に居住している。 |
公用語 | フランス語 | 90%の国民がモシ語などニジェール・コンゴ語族のスーダン系言語を話している。 |
宗教 | 人口の約63.8% がイスラム教を信仰し、26.3% がキリスト教を信仰している | ブルキナファソのイスラムはスンナ派のマーリク法学派が優勢。 |
教育 | 15歳以上の国民の識字率は21.8%(男性:29.4%、女性:15.2%) | 教育制度は小学校6年、中学校4年、高校3年、大学4年であり、小学校・中学校の10年間が義務教育。 |
サンドリーヌ・ゾンゴ先生
ブルキナファソの首都:ワガドゥグで、夫と2人の娘を育てる新人教師・サンドリーヌ。
彼女は「自分の国の未来を確かなものにしたい」と願い、国立初等教育学校で2年間、教員になるために学んだ。
新人教師は6年間の任期で「ブルキナファソ各地の小学校」に送り込まれるのがお約束となっている。
15歳以上の識字率は41.2%。
世界最低ランクの識字率を向上させるために、ブルキナファソ政府は近年、教育に力を注いでいる。
識字率を上げるために、6年間の任期で派遣されたは「僻地のティオガガラ村」。
水道とガスはなく、井戸も故障中のため村民は川の水を汲んで生活している。
スマホの電波も途切れがち、まともなインフラは整っていないし、相談相手になる同僚は居ない。
50人強の児童は公用語のフランス語をほとんど理解できず、教室では5つの言語が飛び交い、生徒全員が理解するのは難しい。
1人の少年が授業中に泣いた理由に気づき、克服へと導く。
バングラデシュ
バングラデシュは南アジアにある共和制国家、首都はダッカ。
首都:ダッカから遠く離れた、バングラデシュ北部のスナムガンジ地方。
モンスーンによって村の大部分が水没した農村地帯のボートスクールに、人道支援団体から派遣されたタスリマは、女性の権利の擁護や教育の意義の啓蒙をひたむきに行う。
人口 | 1億6,630万人(2022年現在) | 世界で最も人口密度の高い国である。 |
民族 | 98%がベンガル人 | 残り2%は多くの少数民族。 |
公用語 | ベンガル語 | 英語も官公庁や教育機関で使用されており事実上の公用語である。 |
宗教 | イスラム教が89.7%、ヒンドゥー教が9.2%、その他が1% | その他の宗教には仏教、キリスト教などが含まれる。 |
教育 | 識字率は2020年時点で74.9%(男性77.8%:女性72%)とやや低め | 教育制度は初等教育(小学校)5年、中等教育(中学校)5年(前期3年、中期2年)、後期中等教育(高校)2年の5-5-2制である。 |
タスリマ・アクテル先生
タスリマが暮らすバングラデシュ北部にあるスナムガンジ地方は、モンスーンの影響で1年の半分が水没し、彼女も幼い頃に洪水で家を失った経験を持つ。
タスリマは、結婚を勧める親を説得して高校を卒業し、人道支援団体のBRACが主催するボートスクールに派遣されて、居住する村の教師になった。
今では、一家の中で唯一自立した女性に成長し、女性も男性と同じ権利を持つべきとの理念から、家庭では弟や妹・甥や姪の勉強をサポートしている。
バングラデシュでは児童婚は法律で禁止されており、学校では子供たちが児童婚の犠牲にならないよう啓発している。
なお、バングラデシュでは15歳未満の女子の約16%、18歳未満の51%が児童婚している。
貧困や伝統的な因習から学習を諦める子どもを減らすため、タスリマは奮闘する。
シベリア
シベリアは国の名前ではなく、ロシア連邦領内のおよそウラル山脈分水嶺以東の北アジア地域、ロシアに存在する「連邦区間」のひとつ。
スヴェトラーナ・ヴァシレヴァ先生
雪深いシベリアに暮らす遊牧民のスヴェトラーナ。
トナカイの牧夫である両親を持つスヴェトラーナは、6歳で寄宿学校に入学したので、両親と一緒にタイガで伝統的な生活を送れなかったことをずっと悔やんでいた。
エヴェンキ族とユネスコの協力で設立されたエヴェンキ・セカラン協会に所属し、広大なタイガで遊牧生活を送る同胞のために、教材や机などを乗せたトナカイのソリで子どもたちが暮らすキャンプ地を走り回っている。
移動式の遊牧民学校は、1ヶ所につき約10日間で授業を行う。
学ぶ習慣のない子供たちに対して、どうしたら勉強に興味を持ってくれるのかと奮闘する。
ロシア連邦の義務教育に加え、エヴェンキ族の伝統や言語、アイデンティティを伝えるカリキュラム、魚釣りやトナカイの捕まえ方も実地で教える。
エヴェンキ族が二重の文化を前提として学習することで「伝統言語・エヴァンキ語の消滅」と「自分たちのルーツの消滅」を防ぐ。
自身の活動のかたわら、2人の娘は町の寄宿学校で学ぶ矛盾に苦しむ母親の姿も見せる。
学びと教え
「落ちこぼれを作りたくない」
「教育の時間を無駄にしたくない」
と奮闘する先生たちの熱い愛情に心を打たれた。
改めて考える、教育とは何か。
教育
できることが増えれば、選択肢も増える。
選択肢が増えれば、未来も広がる。
その未来を、自分が選択できるのだ。
騙されること、貶められること、利用されること、支配されること、虐げられること、搾取されることなど、奪う側から自分を守るためにも必要なこと。
「いま」をより良くするために、「いま」を変えるために考えることができるようになる。
心と体を健やかに、生きるためのスキルを得られるのが教育かもしれない。
違いを知る
自分を知るために教育は必要だと思う。
自分だけではなく、相手を知るためにも。
自分と相手だけではない。
状況や環境、街や国、教育や福祉などの政治面にも違いはある。
自分と相手だけでなく、自分が育った環境との「違い」を理解し、お互いを尊重するためにも教育は必要だと思う。
できた!
言葉がわからない、理解できない子供。
自分だけができないという悲しさと恐怖。
根気よく、ゆっくり、少しずつ学び、ついにその時を迎える。
わかる・理解できる
そうなったらもう大変、ものすごい速さで理解していく。
できるようになった喜び。
1つできることが増えると、もう1つ、もう1つと、どんどん次へとつながっていく。
✧。(ˊᗜˋ)✧*。と目を輝かせて明るい表情で、次々と問題を解いていく。
積極的に手を上げ、自信に満ちた表情が咲き誇っている。
子供たちの表情には「もっと学びたい!」という意欲を感じる。
その輝きは、とても美しい。
昭和の思い出
こういった作品を観ると「自分が小学生の頃はどんな教育だったのか」を思い返すキッカケになる。
1988年あたり、今から35年ほど前の昭和が終わりそうな頃。
- 1クラスの生徒数 → 約47人
- 1学年のクラス数 → 5クラス
- クラスの男女比率 → 男児4:女児6
- 詰め込み教育世代
- 土曜日は半日(午後に下校する)(給食なし)
- カレーの日は星形チーズのグリーンサラダ
- ソフト麺&ミートソースは至極の組み合わせ
- 揚げパンは不動の人気第1位
- デザートの冷凍みかんに苦戦する
- 給食の食器はアルマイト(1人1個の蓋付きアルミボウルで炊いたご飯)
- 土曜日のお昼は「女の60分」が楽しみだった
あまり思い出せない、このくらいしか記憶が蘇らない。
日本では教育は義務であり、国民は義務教育を受けなければならない。
どちらかというと、学びたくて学んでるのではない、強制的に学ばされている感じ。
団塊ジュニアほどの人数ではないにしろ、50人近い児童がギュウギュウ詰めの教室で、お偉いさんたちが決めたカリキュラムに沿って、教師の速度で一方的に授業は進んでいく。
子供たちの理解度とは無関係に進んでいく。
それについてこられる人は理解できるが、そうでない人は置き去りにされる。
置き去りにされた子供はどうなるのか、それは置き去りのまま。
できる子供はより勉強ができるようになり、できない子供はできないまま。
中には映画のような熱心で親切な先生がいて、できない子供たちに手を差し伸べることもあるが、それはごく稀で、住んでいる地域がどれくらい教育に力を入れているかによる。
大人の労働時間と変わらないくらいの時間、1日の大半を勉強に費やしている。
この義務教育のおかげで、日本の識字率は99%。
そういえば、登校も大人の通勤と変わらないね、歩いたり、バスに乗ったり、電車に乗ったり。
最近では「学校で習っていない字を使うと怒られる」らしい。
昔は、学校で習っていないことを知っている「すごいね!」なんて褒められたけどね。
「クニミツの政(まつり)」というマンガで教育について触れている回があり、興味深く読んだ記憶がある。
調べたところ、11巻の84話~13巻の98話に収録されている。
最後に
教育を受けていたころに比べると、大人の今の方が学びたい意欲がある。
それは「学びたいことを選べる」からだと思う。
自分が好きなこと、得意なこと、知りたいこと、興味があること、これらを「選んで」学べる。
林修先生がテレビで言っていた「勉強は贅沢だ」が今になって刺さる。
教育と勉強のありがたさは、大人になって気付く。
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