ひとりの男が、ひとりの子供と、人と人として向き合った時に生まれた奇跡の瞬間。

あらすじ
ニューヨークを拠点にアメリカを飛び回るラジオジャーナリストのジョニー(ホアキン・フェニックス)。
彼の妹はロサンゼルスに住んでおり、妹が家を留守にする数日間、9歳の甥:ジェシー(ウディ・ノーマン)の面倒をみることになった。
ジョニーは、仕事のために戻ることになったニューヨークへジェシーを連れて行くことにする。
ジェシーは、ジョニーが独身でいる理由や、自分の父親の病気のことなどを遠慮なく尋ね、ジョニーを困惑させるが、二人は次第に仲良くなる。
甥と過ごす時間は、ジョニーにとって「子育ての厳しさ」を味わうと同時に、驚きに満ちたかけがえのない体験となる。
キャスト
役名 | 俳優 | 役柄 |
ジョニー | ホアキン・フェニックス | ラジオジャーナリスト |
ヴィヴ | ギャビー・ホフマン | ジョニーの妹 |
ジェシー | ウディ・ノーマン | ヴィヴの息子、ジョニーの甥 |
ロクサーヌ | モリー・ウェブスター | ジョニーの同僚 |
ファーン | ジャブーキー・ヤング=ホワイト | ジョニーの同僚 |
モノクロ
この映画は、あえてモノクロで作られている。
モノクロだから、街が持つ特有の雰囲気や色が分からないので、偏見なく見られる。
肌の色の違いも分かりにくいので、先入観なく観ることができる。
叔父と甥
突然始まった叔父と甥の共同生活、インタビューから始まる独特の構成。
ジョニーとジェシー、2人にインタビューしているような場面もあり、2人を第三者の視点で見ているようだ。
観客が2人にインタビューしているような錯覚。
映画の作り方、構成がおもしろい。
ところでキッズ(kids)、チャイルド(child)の違いは何だろう?
単語 | 意味 | 関係性 | 使用する場面 | |
kids(キッズ) | 子供 | 会話している人同士が知っている子供、年下の者に対して親しみを込めた呼びかけ | 日常会話などカジュアルな表現 | 若者、坊や、ガキなどの意味もある |
child(チャイルド) | 子供 | 大人(adult)に対しての子供(child)、親に対しての子供 | 改まった場所でも使えるフォーマルで丁寧な表現 | お子様という意味もある |
機材と音とジェシー
ラジオジャーナリストのジョニーが所有する機材、初めて見る機械にワクワクを隠せないジェシー。
機材を身にまとい、収音マイクであらゆる音を拾っていくジェシー。
彼のうしろを、笑顔で見守りながらついていくジョニー。
ジェシーにとって初めての経験、聞き慣れたはずの「生活の音」が鮮やかに輝きだす。
好奇心の赴くままに、街のいろんなところを歩きながら、たくさんの音を拾っていくジェシー。
機材のツマミで音量を調節できて、ジェシーはツマミをクリクリと回して「音の変化」を楽しんでいる。
それがそのまま「映像の音」として反映されている。
ジェシーがすくい上げた音は、ジェシーだけが聞いている音、機材を通すことで特別感のある音に変化していく。
ジェシーが聞いている音をおすそ分けしてもらって観客が聞いている、そんな感じがする。
子供
私は子供が居ないから、子育ての大変さが分からない。
でも、子供だったことはある、かつて子供だった自分、忘れてしまった子供の自分。
子供の突飛な行動は、好奇心と探求心からくるものだろう。
こうしたらどうなるだろう?
ぼくが隠れたら驚くかな?
それとも困るかな?
天使の笑顔で小悪魔のような無邪気さを振りまく。
人生という時間と経験
人生という時間を歩みながら、いろんな経験を積み重ねて、いろんなことを知り、いろんなことを忘れていく。
「長く生きていると、さまざまな経験が蓄積されていき、より素晴らしい人になるのだろう」という妄想に近い思い込みを持っていることに気付く。
子供より大人、大人より高齢者。
「移りゆく時代を生きた経験は素晴らしいもの」という価値観があるからだ。
それゆえ『子供はこういう生き物』で『大人はこういう生き物』であって『高齢者はこうあるべき』という先入観ができる。
相手を見たとき、その先入観から遠いほど、勝手に賞賛したり、勝手に失望したりする。
相手を相手のまま受け入れる、案外むずかしいのかもしれない。
親と子
ジョニーの母親は認知症。
母親の世話をしているのは、ジョニーの妹のヴィヴ(ジェシーの母)。
少しずつ悪化していく症状に戸惑う。
- 認知症からくる妄想に付き合いきれない娘(妹)
- 母の認知症を受け入れて母の妄想に付き合う息子(兄)
お互いに「なにか」を失っている。
なにを忘れて、なにを忘れないのか。
順撮り
共に生活をしていく叔父ジョニーと甥ジェシー。
初めは物理的にも距離があり、緊張している2人が見て取れる。
時間とともに心の距離が縮まって、次第に打ち解けていき、親密になっていく。
実はこれ、時系列通りに撮影している。
お互いの胸の内をさらけ出し、1人の人間として接していくにつれ、物理的にも心理的にも距離がなくなっていく様子が映し出されている。
心を許し合い、じゃれ合う2人を見ていると、心の奥からとても温かい気持ちがこみ上げてくる。
アメリカ4都市の取材
子供たちにインタビューをするシーンがある。
ニューヨーク(東)、ロサンゼルス(西)、デトロイト(北)、ニューオリンズ(南)。
歴史も風景もまったく異なる4都市。
実際にそこに住む9~14歳の子供たちにインタビューしていて、彼らの「生の声」が色濃く映されている。
自分たちが住んでいる町について。
現在の生活について。
世界について。
そして、未来についてを率直に語る子供たち。
彼らの言葉は『いま現実社会で起こっていること』を生々しく伝えている。
都市ごとに子供たちの意見が異なることに驚く。
それぞれの街が持つ歴史や風景が、子供たちに強く影響を与えているのがわかる。
安心安全に暮らすことが当たり前ではない現実社会と相対している子供たち。
私が思う「子供らしい思考」や「子供らしい悩み」は出なかった。
そして、子供たちを『子供扱い』していたのは、私だと気付く。
子供たちも大人と同じく、悩みながら、苦しみながら、挫けず、現実を受け入れながら必死に生きている。
大人が子供に見せている世界、子供が見ている世界、それぞれ違う。
いま観ているものが映画だということを忘れてしまう。
ドキュメンタリーを観ているようだ、映画であることを忘れてしまう。
ドキュメンタリーというより、現場に居て、彼らの生活を「自分の目」で見ている気分になる。
彼らの生活、葛藤、苦痛、悩み、悲しみ、喜び、あらゆることを共有しているような錯覚。
質問力
ジョニーを含むラジオジャーナリストたちが、各都市の子供たちにインタビューをするシーンがある。
日本のテレビで見るインタビューと違う。
日本のインタビューは、記者もしくはアナウンサー(タレント等も)が『テレビで使いやすい事を言わせるように誘導している』ように感じる。
わずかな時間で、すでに用意された「テレビで使いやすい事を言わせるだけのインタビュー」が仕事だから仕方ないのかもしれない、見ていて本当につまらない。
あと『どう思いますか?』とワードを使いすぎ。
これでは相手に丸投げしすぎだし、相手も答えにくいと思う。
どう思いますか?と聞かれると「知らんがな」と言いたくなってしまう。
相手に質問するとき、問う側の『質問力』が必要だ。
変化する言葉
同じ言葉でも「誰が言うのか」で印象と内容と重みが変わる。
大人が言うのか、子供が言うのか。
男性が言うのか、女性が言うのか、性別の枠に囚われない人が言うのか。
裕福な人が言うのか、貧困の人が言うのか。
社会的立場で上の人が言うのか(政治家・社長・会長など)、無職の人が言うのか。
親が言うのか、子供が言うのか。
作り上げる関係性
コミュニケーション。
自分と、自分以外の人を知る手段。
思考、感情、価値観など、心理的距離を縮めて関係性を深め、相手を知る行為。
対面、電話、メールなど、方法はさまざまある。
作品内だと、兄は妹の、大人は子供の、立場の異なる人のことを理解する行為「相手の声(想い)を知る」。
人は、いろんな人と関わり合うことで自分自身を肉付けしていき、自分とは何なのか、自分以外の人は何なのかを学んでいく。
そして、接する相手によって、自分も変化していく。
それらの体験をもとに、自分の人生を作り上げていく。
大人と子供、兄と妹、夫婦、家族、いろんな関係性。
個人という、小さな世界。
他人と関わり合いながら生きていくという、大きな世界。
色
モノクロ映画だが、エンドロールで一ヶ所だけ色がつく、唯一カラーになるところがある。
なんでだろうと思い、調べてみた。
それは、ある子供に捧げられてる。
ニューオリンズのインタビュー対象者だった9歳のデバンテ・ブライアント(タトゥーをしている子)が2020年夏、街角に座っていたら銃の流れ弾に当たって亡くなる、という事故が起きている(本作はデバンテに捧げられている)。
いつの時代もそうだ、子供を傷付けるのは決まって大人だ。
子供の未来を奪う世の中は、大人の責任だ。
最後に
すべての大人は、子供たちの未来に責任がある。
人生や未来、世の中に関する子供たちなりの考えがある。
困難な状況、時代であっても可能性がある。
気の毒だ、可哀想だ、と悲観してはいけない。
子供たちには無限の可能性がある。
c’mon c’mon (先へ 先へ)
コメント