この記事はネタバレなしで書いています。
全世界にて累計1500万部を超える大ヒットを記録した動物学者:ディーリア・オーエンズによる小説を映画化。
原題:Where the Crawdads Sing
原作は動物学者であるディーリア・オーエンズによるミステリー小説。
2019年・2020年と2年連続で「アメリカで最も売れた本」となり、日本でも2021年に本屋大賞・翻訳小説部門の第1位に輝く。
原作に惚れ込んだリース・ウィザースプーンは、自身の製作会社ハロー・サンシャインで映像化の権利を獲得、自らプロデューサーを務めた。
あらすじ
1969年、ノースカロライナ州の湿地帯で、裕福な家庭で育ち将来を期待されていた町の有力者の青年が変死体で発見される。
容疑をかけられたのは「ザリガニが鳴く」と言われる湿地帯で、たったひとり育った無垢な少女カイア。
カイアは町の人々から「 Marsh Girl (湿地の娘) 」と呼ばれ、偏見や好奇の目にさらされ不当な扱いを受けている。
カイアは6歳の時に両親に見捨てられ、学校にも通わず、花・草木・魚・鳥など、湿地の自然から生きる術を学び、ひとりで生き抜いている。
そんなカイアの世界に迷い込んだ、心優しきひとりの青年。
彼との出会いをきっかけに、すべての歯車が狂い始める。
登場人物
主要人物は6人。
名前 | 性別 | 人物 | 俳優 |
カイア | 女 | 主人公の少女 | デイジー・エドガー=ジョーンズ |
テイト | 男 | 町の若者 | テイラー・ジョン・スミス |
チェイス | 男 | 町の若者 | ハリス・ディキンソン |
ジャンピン | 男 | 燃料店店主 | スターリング・メイサー・Jr |
メイベル | 女 | ジャンピンの妻 | マイケル・ハイアット |
トム・ミルトン | 男 | 弁護士 | デヴィッド・ストラザーン |
上映映画館
2022年11月18日から上映開始。
12月現在、多くの映画館で上映を終了している。
映画館で鑑賞する際は確認してください。
1950年
幼少期は1950年代。
8歳のカイアから考えると、1950年代の最初の頃だろう。
1950年、日本では昭和25年、出来事を書き出してみる。
- 聖徳太子像の千円紙幣(日本銀行券B千円券)発行開始[B号券]
- 東大助教授毒殺事件
- 国鉄スワローズ(現在の東京ヤクルトスワローズ)設立
- 第1回さっぽろ雪まつり開会
- ユニーの前身となる「ほていや」設立
- 明星食品設立
- 寿屋(現・サントリー)が「サントリーオールド」を発売
- 桃屋が「江戸むらさき」を発売
- 琉球列島米国民政府によって琉球大学が開学する
- 警視庁がパトロールカー導入
- 巨人の藤本英雄がプロ野球史上初の完全試合を達成
- エスビー食品が「エスビーカレー」を発売
- 金閣寺放火事件
- 後楽園球場にナイター設備が完成、プロ野球はナイター時代へ突入
- 小田急電鉄がロマンスカー(新宿駅 – 箱根湯本駅間)の運行を開始
- ポツダム政令として警察予備隊令を公布・施行、自衛隊の前身である警察予備隊が発足
- 東京証券取引所が現在の算出方式(修正平均株価)で計算を開始(現日経平均株価)
- GHQが1万90人の公職追放令の解除を承認した
- 池田勇人蔵相が国会で「貧乏人は麦を食え」と発言
日本やアメリカだけでなく、どの国も戦争の影が色濃く残る時代だ。
湿地
広大な湿地で生きる人たちが描かれている。
湿地のほとりにポツンと一軒家、それがカイヤの家。
移動はモーターボート、カイヤがひとりでボートに乗る様子が映し出される。
まだ幼いカイアは、迷路のような湿地でたびたび迷子になる。
ボートに座るカイヤの目に映るのは、静かに佇む湿地。
大自然だけが視界に広がる風景、目印になるようなものはないので迷子になってしまうのは仕方ないことだとわかる。
湿地には、ボートの燃料を販売している商店がある。
船着場に停めているボートに直接燃料を入れられるようになっていて、現在のガソリンスタンドのような感じ。
その地域に住む人たちに合わせた生活形式になっている。
湿地に馴染みがないのでとても勉強になる。
湿地の自然、生き物、風や水、すべてが鮮やかに映される。
大きな木から垂れ下がる植物、あれはなんだろう?
アバターにも似たような植物が出てきた。
サルオガセなのか?
それともサルオガセモドキ?
ところで湿地と沼の違いはなんだろう?
起承転結
この映画はとても観やすかった。
起承転結がハッキリしていて、それぞれが色濃く詰め込まれている。
起 | 幼少期 | 孤独に暮らし始める経緯を描いている |
承 | 少女期 | 人との出会いによって生活が一変する |
転 | 青年期 | 容疑者として裁判にかけられていて回想で過去を振り返る |
結 | 老年期 | どのように晩年を過ごしたのか、そして結末へ |
幼少期
湿地の一角に住む家族、父と母、兄と姉、末っ子のカイア。
カイヤが父から貰った軍備品の水筒が宝物だ。
となると、父は退役軍人もしくは帰還兵だと思われる。
父の気性の荒さは、軍人時代によるPTSDなのかもしれない。
1人、また1人と去っていく現状の中、必死に生きようとする小さなカイヤ。
偏見や好奇の目にさらされるせいで学校にも通えず、語りかける相手はカモメしかいない。
保護観察官?現代で言うところの児童相談所職員のような人がカイヤの家に来るも、保護されれば湿地から離れなければならないことは容易に考えがつくので、カイヤは必死に身を隠す。
湿地から離れることを拒絶するカイヤ。
これから先、幾年月もの夜を、1人で耐えていく。
カイアの幼少期を演じた子役:ジョジョ・レジーナが本当に素晴らしかった。
演技はもちろん、表情豊かで本当に良かった。
カイアの悲しみがしっかり伝わってくる表情、全身で感情を表している。
この幼く小さな体で「どうすれば生きられるのか」を学ばなければならない状況と環境に悲しさがこみ上げてくる。
差別や格差が色濃く残る時代に、白人であるカイアが不当な扱いを受けているのも印象的だ。
少女期
幼女から少女へと成長したカイア。
湿地のほとりの一軒家で1人、ひっそりと暮らしている。
カイヤと共に生きるのは、湿地と自然。
湿地に生息するあらゆる生き物と共にカイヤは生きている。
身近にある自然の在り方に関心を持ち、植物そして虫や鳥を観察・スケッチしている。
カイアは、湿地で生きる鳥・植物・昆虫たちの生態からいろんなことを学び、生きる術を教わったのだ。
美しい鳥の美しい羽根を拾うカイヤ、1枚、また1枚と美しい羽根が増えていく。
ある日、切り株に鳥の羽根が「人為的」に置かれている。
途端に警戒心をむき出しにするカイヤ。
「誰かがテリトリーに侵入した」
カイヤの領域を侵害・破壊するかのような、そんな警戒心。
ここで、カイヤ以外の人物と出会うことになる。
彼は、幼い頃にあったことのある人物。
彼はカイヤと同じ、湿地帯の生態系に興味がある。
彼はカイヤにいろんなことを教えた。
読み書きを覚えたおかげで、本を読み知識を得ることの楽しさを知り、カイヤの世界は一気に広がる。
カイヤの服装の変化が印象的。
子供から大人への心の変化だろう。
彼は今後の進路のため、地元を離れて進学することに。
独立記念日の休暇には必ず戻ると約束するが、果たされなかった。
「また1人になるカイヤ」
1人でいるのと、1人になるのではまったくの別物、似て非なるもの。
青年期
圧倒的な孤独の中、1人で生きるカイヤ。
町に出たとき、1人の人物と出会う。
彼の存在は、孤独だったカイヤの心を少しずつ明るくさせた。
ある日、偶然町で彼と会うカイヤ。
彼の隣には、カラフルな流行の服装の女性がいる。
この出来事をきっかけに物語りは大きく動く。
そして、何かが狂い始める。
ある日、近所の少年たちが物見櫓に遊びに行くと、何かが横たわっているが見える。
それは・・・・・・・・・。
このあたりから話の流れが一変する。
警察、裁判、留置所、証人、弁護士、被害者、被疑者など、物々しい流れでストーリーは構築されていく。
現場検証では、足跡はおろか指紋など何の証拠も出てこない。
何の手がかりも見つからない中、犯人は「湿地の娘」と呼ばれるカイアではないかという噂がどこからともなく広がる。
被疑者として留置所に滞在するカイヤ。
噂や偏見が「人物像」を決め付けている時代、町や社会との関係を拒み続けているカイヤは絶体絶命だ。
カイヤの弁護をするのは、白髪の男性弁護士。
弁護士は「弁護をするためには君のことを知らないといけない」とカイアに語りかける。
捜査が行なわれる1969年と、カイアの成長を追う1952年以降の時代を行きつ戻りつしながらストーリーは進んでいく。
老年期
すべてが終わったカイヤ。
老後は、穏やかに過ごしている。
生き方は今までと変わらない。
湿地に住み、湿地と共に生きている。
出版した本はベストセラーとなり、カイヤを生活面でも精神面でも支えている。
そして、カイヤと共に生きる人も増えた。
1人、また1人、それは家族になった。
年を重ね、髪も白くなり、老女になるカイヤ。
自分の死期を感じ始める。
ボートに乗り、湿地をゆっくりと進む。
ふと、見つめる。
そこには、母の姿が。
あの日のままの母が、カイヤを呼ぶ。
カイヤはずっと待っていたのだ。
母が私を迎えに来ることを。(私はここで号泣した)
静かに、穏やかに、終わりを迎えるカイヤの長い人生。
残されたその人は、カイヤの遺品を手に思いを馳せている。
カイヤのスケッチ、絵、そして、、、。
音楽
「本編を見終えた後は席を立たないで」
エンドロールに流れるのは、テイラー・スウィフトの新曲「Carolina」。
原作の大ファンだというテイラー・スウィフトが、この映画のために書き下ろした曲だ。
重厚な音と共に、映画に沿った歌詞が耳にも目にも鮮やかに映る。
思ったこと
どちらかというと理系の私、こういう人生ドラマは少し難しい。
一緒に鑑賞した友人は文系の人なので、私とは違った感想と視点を持っていて面白いし勉強になるし感慨深い。
この映画、実は友人が「観に行く?」と誘ってくれたのだ。
友人からの誘いがなければ興味を持つことはなかった。
手を出さないジャンル、ゆえに即快諾した。
鑑賞後に友人と感想を語り合う、友人の意見は本当に勉強になった。
あれこれ書くとネタバレになるので、思ったことを少しだけ箇条書き。
1950年に生まれたとして考えると、2022年だと72歳。
この映画は、波乱万丈な人生を歩んできた1人の女性の物語だ。
タイトルの「ザリガニの鳴くところ」。
序盤に、カイヤの兄ジョディが「母さんが『自分を守るために向かう場所』だと言っていた」というセリフがある。
兄ジョディが家を出るとき、カイヤに「何かあったら【ザリガニの鳴くところ】まで逃げるんだ」という助言を残す。
そこは架空の場所でありながらも、カイアにとっては母親を思い出す場所であり、心の平穏が得られる場所なのだろう。
カイヤにとって、湿地帯の全てがそうだった。
ゆえに、誰もいなくなった一軒家から絶対に離れずに残り続けたのだろう。
湿地の生態に興味がある、いわば陰キャ。(陰気キャラ)
それなのに良い体をしているのはなぜだろう?
陰キャといったら、ヒョロッとしたモヤシのような細い体じゃないの?
絶賛売り出し中の新進気鋭の若手俳優だからなのかな。
孤独に暮らすのと、怯えて生きるのは違う。
自然に善悪はない、懸命に生きているだけ。
カイヤは「私は犯人じゃない」とも「殺していない」とも言っていない。
何の弁明もせず、ひたすら終わるのを待つだけ。
欺こうとしたわけではない。
人間社会の倫理や道徳、常識やルールは、彼女の中にはない。
彼女も「湿地」の生物だ。
「湿地の一部」なのだ。
最後に
誰が悪いわけではない。
誰かが悪いからこういう状況になったわけではない。
それぞれが、そういう生き方をしているだけ。
そして、それが上手く交わらないだけ、複雑だ。
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