<午前十時の映画祭>
「一度、スクリーンで観たかった。もう一度、スクリーンで観たかった。」
4月1日~3月30日を1年として、2週間代わりで素晴らしい名作映画を公開しているこの企画。
作品によっては「1週間限定公開」もあるので御注意を。
午前10時とあるが、作品によっては10時より前に上映することもあるので、上映映画館のスケジュール確認は必須。
公式HPでは
- 上映開始時間は<午前10時に限定せず>それぞれの劇場の判断で<午前中の上映開始>となります。
- そのため、上映開始時間は劇場ごとに、また作品によっても異なります。
- また、鑑賞料金も各劇場が設定した料金となりますのでご了承ください。
- ご鑑賞前に各劇場の公式サイトなどでご確認をお願いいたします。
私の住む街:栃木県では「ユナイテッド・シネマ アシコタウンあしかが」と「TOHOシネマズ宇都宮」の2ヶ所で上映している。
あらすじ
いま生きている世界は現実なのか、もしくは夢なのか。
朝になって起きてもどこか夢を見ているような感覚、そんなモヤモヤを抱えて生活をする主人公アンダーソン(キアヌ・リーブス)。
職業はIT企業のプログラマー、彼には『天才ハッカー』という別の顔がある。
ある日、パソコンの画面にメッセージが映し出される「白うさぎを追え」。
アリスのようなメッセージを疑うが、行動するアンダーソン。
何が本当で、何が嘘なのか。
受け入れ難い世界を少しずつ動き始める。
1999年公開
【マトリックス】1999年 上映
1999年、日本では平成11年、2022年現在から23年前のこと(※執筆所は2022年)。
この年に何があったのか、簡単に書き出してみる。
- 内閣総理大臣:小渕恵三
- コギャルが進化してヤマンバになるなど個性が爆発
- iモードが始まり、携帯電話・PHSが普及、携帯番号も11桁になった
- 警察の不祥事が多く報道された
- 非正規雇用が増加し始めた
- 茨城県東海村の臨界事故
- 勃起不全(ED)治療薬「バイアグラ」が厚生省により認可される
- 安室奈美恵の実母が義弟に殺害、義弟も自殺
- 沖田浩之が自殺
- 日本テレビの「スーパージョッキー」が放送終了、16年の歴史に幕
- 山口県光市で光市母子殺害事件が発生
- ガソリンのレギュラー価格が1リットル=90円の過去最安値を記録
- 西村博之が2ちゃんねるを開設
- ソニーがAIBOを販売
- 多くの銀行が破綻した
- 全日空61便ハイジャック事件
- 神奈川県山北町の玄倉川が増水(玄倉川水難事故)
- 槇原敬之を覚醒剤取締法違反で逮捕
- 日本テレビ「マジカル頭脳パワー!!」放送終了
- フジテレビでONE PIECEのアニメ放送開始
- 桶川ストーカー殺人事件によって「ストーカー」という言葉が広く知られる
- パイオニアがDVDへの録画・再生を可能にしたDVDレコーダーを発売
- 京都小学生殺害事件
- ノストラダムスの大予言ブーム
- 2000年問題
- バブル崩壊
- だんご3兄弟、社会現象に
- 宇多田ヒカル:Automatic
- GLAY:winter , again
- 浜崎あゆみ:A
- 坂本龍一:ウラBTTB
- モーニング娘。:LOVEマシーン
- L’Arc~en~Ciel:HEAVEN’S DRIVE
- KinKi Kids:フラワー
- 嵐:A・RA・SHI
- Dragon Ash:Grateful Days
- 1999年の音楽
- 1999年のアニメ
音楽に関していうと、個人からグループに戻り、アーティスト名に英語表記が増えた。
コラボミュージックも増えて「feat.」という表記も登場した
feat.は featuring の略語、読み方はフィーチャリング、意味は客演・ゲスト。
小室哲哉グループブームから宇多田ヒカルブームへと変化した。
このあたりでCDのミリオンヒットが終わりを迎える、ミリオンは100万の単位。
ちなみに、日本のシングル売上ランキングはコチラ。
子門真人 | およげ!たいやきくん | 1975年 | 457.7万枚 |
宮史郎とぴんからトリオ | 女のみち | 1972年 | 325.6万枚 |
SMAP | 世界に一つだけの花 | 2003年 | 313.7万枚 |
サザンオールスターズ | TSUNAMI | 2000年 | 293.6万枚 |
速水けんたろう・茂森あゆみ | だんご3兄弟 | 1999年 | 291.8万枚 |
当時、私(22歳)は何をしていただろう…。
思い出せないということは、なーんも考えずに、のほほーんと生きていたのかも。
携帯電話は持っているけど「インターネット」なんて言葉すら知らない頃だと思う。
そんな1999年、すでにAI(人工知能)という存在があったということに驚き。
『 AI 対 人間 』このテーマの作品は多々あれど、ターミネーターしかり、無機質な機械(敵)は本当に怖い。
ターミネーターでは機械側は一貫して無表情、人間の形をしているが、人間らしさは皆無。
人間と違って感情を持たない機械、淡々と動くその姿は、冷たさと不気味さを演出している。
このマトリックスは、ところどころで攻殻機動隊をオマージュするような要素がある。
響いた言葉
セリフに哲学的要素が散りばめられているのがとても印象的。
観ていて響いた言葉は4つ。
『現実』とは何か。五感で感じる事を現実というなら、それは脳が出す電気信号のことだ。
たしかに、改めて現実とは何かと問われると答えられない。
結局、五感で得ている情報を現実として認識しているだけなのかもしれない。
『衝動』を抑えたら人間らしさを否定していることになる。
生命に与えられたもの、衝動。
あらゆる欲が、生命を生かしている。
無知は幸福だ。
知らぬが仏:日本のことわざと同じ。
知りたくなかった現実を知ることでストレスを受けるなら、いっそ知らない方がストレスフリー。
無知と博識、どちらを選ぶのか、どちらが幸せか、それは人によって違う。
道を知っているのと、実際に歩むのは違う。
選択と行動は別物。
知識と経験は別物。
どちらも自分の意思。
3人のエージェント
多くの人間(プログラム)が居るなかでエージェントは3人。
その他大勢に「移動」することもできるが、なぜエージェントの数を増やさないのか。
少数精鋭なのはなぜか。
その他大勢すべてが「仮想世界の人間」だからなのか、ナゾだ。。。
仮想世界 = MATRIXマトリックス
現実の世界では、人類はコンピュータに支配されていて、人間は電力発電のために大量に栽培されている。
死体を溶かして培養液にして新しい人間を栽培(死体→溶かす(培養液にする)→生きている人間を栽培する)、それを繰り返すことで無限の電力を得ている。
栽培されている人間の脳に見せているのが「仮想世界 = MATRIX」 の世界。
『サングラス&黒服』この人物が居るのが「仮想世界」、とてもわかりやすい表現。
黒服の居る世界は、現代と何ら変わらない見慣れた世界。
現実として描かれているのは、禍々しい機械の船と暗く荒廃した世界。
この2つの世界を行き来する生身の人間、それを追う黒服。
仮想世界に入り込んでくる生身の人間たちは、コンピュータ側からするとプログラムバグの一種と言える。
居ないはずの生身の人間軍 → 仮想世界の秩序を乱す不要な存在 = 排除すべきバグ。
その生身の人間軍の本拠地を現実世界で見つけ出して一掃しようとするのが黒服エージェントたち。
仮想世界はプログラム世界なので、エージェントたちは仮想世界の人間に「移動」することができる。
電話回線というのがポイント。
昔から公衆電話(電話)は重要アイテムとして使われる。
タイムマシーンになったり。
MDというのがまた時代を感じる。
いまでは見なくなったな・・・、いまの若い子たちは知らないだろうな・・・。
マトリックスの世界観
マトリックスの世界を理解したのは、この動画のおかげ。
日本語字幕付き
これを見なかったら、マトリックスをまた観ようとは思わなかったし、理解もできなかった。
ゲームの世界、メタバース
性別や年齢を偽り、出身国や肌の色も自由に変えられて、誰しもが「なりたい自分」になれる世界、インターネット。
ユーザーは、画面に映し出される言葉に一喜一憂し、画面の向こう側の誰かと恋愛をし、バーチャルウエディングもできる。
今でこそバーチャルは市民権を得ているが、1999年当時はまだ真新しい存在。
いまはバーチャルではなく「メタバース」としてより深く認知されている。
多くの大企業がメタバースに巨額を投資し、ビジネスの場を広げている。
メタバースを仕事の場にしている人も居る。
メタバース内に絵や映像をデザインして「アート」として販売している。
アバターやアイテムを作って生計を立てている人も居る。
メタバースをわかりやすく身近なものでいうと「あつまれ どうぶつの森」。
かわいいキャラクターを動かして、フルーツを取って販売したり、魚釣りをして販売したり、家や服をデザインして販売したり。
もう少しプログラム的なことだと「マインクラフト(マイクラ)」がある。
マイクラにもプロ(プロマインクラフター)が居て、ビジネスとして活躍している。
現在では、プログラミングの勉強になるということで教育版を導入する学校も出てきている。
私の甥(小学1年生)もマイクラが大好きで、養鶏場や街を作ったりしている。
このように、実態のない世界で、実態のない物を売買したり、実態のない人に会って会話したり。
仮想通貨もまたしかり。
長い月日を経て、こういったコンピュータが普及することで「実態のないもの」を受け入れる姿勢が整っている。
心と体は繋がっている
マトリックスでは「仮想世界で死ぬ」と「現実世界でも死ぬ」。
それは、心と体が繋がっているからだ。
岡島二人:クラインの壺
これを題材にした小説「岡島二人:クラインの壺」を読んだことがある。
発売日は1989年。
カプセル型のマシーンに入り、バーチャル空間でRPGのような冒険したりする。
RPG冒険ゲームの体験中、参加者が亡くなるという事故が起きる。
ゲームのプログラムチームは、このような「バーチャル体験による精神的ショックで死亡する」ということを想定していなかったので、対応に追われていた。
名探偵コナン:ベイカー街の亡霊
映画の名探偵コナン「ベイカー街の亡霊」でも同じような設定がある。
カプセル型の体験マシーンに入り、バーチャル世界を冒険する。
カプセル内の参加者を人質に取られ、肉体に意識が戻らなければバーチャル世界を永久に彷徨うことになる。
ブアメードの血
1883年、こんな実験が行われた。
ブアメードという国事犯を台の上に仰向けにさせて手足を拘束。
刑務官と医師が「人間はどのくらいの血液を失えば死ぬのか」を話し合い始め、『3分の1を失えば死ぬ』という結論が出る。
死刑囚の足の指を切って出血させる。
したたる音が室内に響き渡る。
数時間後、医師が「(体内の血液量が)まもなく3分の1になる」と告げると、死刑囚は息を引き取った。
実はこれ、痛みを与えただけで1滴も出血していない。
血がしたたる音は、水道から流れ出る水がしたたる音だった。
コチラの本に記載されている。
想像妊娠しかり、病は気から。
まさに心と体が繋がっている。
思考が現実を作る
現実に違和感や疑問を持つことで考えることができる、つまり思考。
その思考によって、意識的または無意識に行動する。
それゆえ結果として現実が存在する。
自分で思うから行動をして結果が作り上げられる。
それが現実だ。
思考が現実を生むのであれば、思考が無ければ現実は変化しない。
何かを変えたければ、考えること。
現実は人の数だけ存在している
現実というのは、人の数だけ存在している。
同じ現実でも、見ているもの・聞いているもの・感じているものが違うので、自分とは異なる現実である。
そして、自分と関わりのある誰かの現実にも、自分は影響している。
これに気付いていない人が多い。
例えば[嫁がヒステリックでいつもグチグチと小言を言われて嫁にイジメられている]という夫が居ると仮定して。
まぁ、そういう状況・環境は少なくないけど・・・。
こういう場合、相手が勝手に言っていると思っていることが多い。
自分に非は無く、相手の勝手かつ自主的な言動だと考える。
しかし、嫁の現実には夫が存在している。
それなのに、自身が持つ影響に関しては考慮していない。
嫁が怒ってる → 少なからず夫もそういう状況を作っている一部分である、これを理解していない。
つまり、自分も「相手の現実の一部である」ということを認識していない人が多い。
思い通りの現実
大人気マンガ:ONE PEACE 32巻(2004年発行)に、興味深いことが記載されている。
カラー表紙の内側、作者のコメント。
この世は思った通りになるのだそうで。
思った通りにならないよと思っている人が、思った通りにならなかった場合、思った通りになっているので、やっぱりそれは、思った通りになっているのだそうで。
つまり、文句ばかりいう人は「文句ばかりの現実」になるし、運が良いと思っている人は「運が良い現実」になる。
ポジティブにはポジティブが集まり、ネガティブにはネガティブが集まる。
嘆くだけでは変わらない
マンガ:暗殺教室 18巻 のひとコマが感慨深い。
「どの川に棲んだか」じゃなくて「棲んだ川でどう泳いだか」
自分の力では変えられないこと(肌の色や性別など)は別として、現実でどう生きるか。
このマンガはギャクコメディーだが、感銘を受けるセリフが多い。
後悔と反省の違い
最初は誰でも失敗をする。
できなかった結果を現実と思い込むことで、今後もできないと決め付けてしまう。
失敗を「後悔」と取るか、それとも「反省」と取るか。
どちらを選ぶかによって未来は大きく変化する。
意識と存在
哲学の世界で「認識しなければ存在しない」がある。
私は、認識ではなく意識だと考えている。
認識 | 物事を知って本質を理解すること |
意識 | ものごとを気にかける |
意識したとき、初めて存在することができる。
例えば、あなたの目の前にあるもの、スマホ、時計、お菓子、ジュース。
「そこにある」と意識したとき初めて存在する。
通い慣れた道でも、意識的に周囲を見ることで「こんなお店があるなんて知らなかった」と『初めて』存在を知る。
会社までの道中、学校までの道のり、買い物へいく行くルートなど、いつもの日常を意識的に見てはどうだろう?
いままで気付けなかった「なにか」がある。
どこに、なにに、意識を向けるかどうかは、あなた次第。
見たいものを見て、聞きたいことを聞き、言いたいことを言う。
それが「あなたの現実」なのだ。
デジタル技術とアナログ技術
前回の午前十時の映画祭で観た【ブレードランナー】は1982年公開。
今でこそ当たり前の存在のCG、昔は「これはCGだな」とハッキリわかるものが多かった。
この映画は、いま見ても遜色がないほど見事な街並みを作り出している。
コンピュータで作り上げる映像は、あらゆる生き物、建造物、架空の物など、多種多様なものがある。
これらはいわば、データを見ているに過ぎない、デジタル。
今回のマトリックスは、CGを多用しているのはもちろんだが、特殊な撮影方法が注目された。
ネオ(キアヌ・リーブス)を中心に、360度ぐるりと映し出す映像。
ネオが屋上で弾丸を避けるシーンもまたしかり。
ストップモーションとは違う、タイムラプスともまた違う。
これはバレットタイムと呼ばれる撮影方法だ。
俳優の動きやカメラ(台数など)を駆使して撮影するので、いわばアナログ。
デジタルはアナログを、アナログはデジタルを凌駕する。
緑色の数字
ラストに近いシーンで。
エージェントに至近距離で攻撃されて死ぬネオ。
その後、奇跡的に生き返る。
なぜか。
それは「受け入れた」からだ。
立ち上がるネオが見ているのは、エージェントたちではない。
コンピュータ言語の羅列。
天才ハッカーという「ネオの別の顔」が生きる。
ここで【最初の「緑色の数字」】と繋がる。
伏線が回収されて理解した瞬間、ゾクッとした。
見たいものを見て、思いたいことを思う。
何を現実というのかは、その人次第だ。
最後に
マトリックスの上映は1999年。
あれから24年の月日が流れ、2023年現在。
やっと理解できる時が来た。
そして、マトリックスの世界に少しずつ移り始めている。
いま、観ているSF映画。
10年後、20年後には現実になるのかもしれない。
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